安田産業とは

GREETING

代表者ご挨拶

このたびは弊社のホームページをご閲覧頂きまして誠にありがとうございます。 弊社は、勤勉と倹約をDNAとして受け継いで、 尊敬と謙譲と中庸を心に留めて化学品業界で活動させて頂いております専門商社です。 弊社にご興味を持って頂ける方は続きをお読みください。

HISTORY

安田産業の歩み /

  • 逆風からのスタート

    安田産業株式会社は、1929年(昭和4年)に繊維用染料の販売会社として社業をスタートいたしました。歴史年表で1929年を見ますと、米国発の不景気が世界にひろがった世界大恐慌の年であります。

    昭和初期の動乱期に私の祖父が繊維用染料商として創業したのですが、創業後まもなく大きな戦争がありました。そして、日本は敗戦し、創業の地である大阪も大きく被災いたしました。しかし、創業者をはじめとした実働メンバーは幸いにして生きながらえ、わずかな資本をもとに戦前からお世話になっておりました仕入先様、お客様と商いを再開することができました。

    原油からナフサができ、ナフサからプラスチックが生まれるという時代を背景に、戦後の次世代材料であったプラスチックという素材に着目し、創業時より商いをしておりました染料、そしてカラーリングというキーワードで事業展開をはかりました。

  • 高度経済成長からバブルへ

    いつの時代もどの企業もそうでしょうが、起業をなしとげる創業者はエネルギーに満ち溢れ、チャレンジングだったのでしょう。1957年に名古屋、1959年には東京に営業拠点を構えることができました。
    それにより、1950年代、1960年代の日本の高度経済成長期には、繊維用ケミカルとプラスチックケミカルにおいて、多くの仕入れ先様、お客様とのネットワークを構築させて頂きました。高度経済成長期の後期には、東京オリンピック、大阪万博と大きなイベントが続き、人々の高揚感は戦後日本のひとつのピークだったのではないかと想像致します。

    しかしながら順風満帆はいつまでも続きません。1973年と1979年に原油の高騰と世界経済混乱が起こり、いわゆる石油危機(オイルショック)となりました。われわれ中小企業は大きな景気後退に巻き込まれました。安田産業の経営も多いに苦しんだと聞いております。その後1980年代に入り、日本はプラザ合意による変動相場制、円高時代を経て、狂乱のバブル経済へ突入してまいります。山手線内側の地価で米国全土が買えるという時代でした。企業経営者はみな株を買い、土地を買って資産インフレに対応した時代だったのでしょう。

  • 新事業への挑戦

    しかし、当時の安田産業の経営者は浮利に走らず、コツコツと本業に邁進しようという方針で経営を致しました。いわゆるバブルエコノミー対応型の経営をこばんだのでした。けして聖人君子であったのではなく、自分たちの実力を知り、負けない経営を心掛けたのでしょう。
    そして、日本のバブル経済は1989年ピークに終焉し、日本は長い景気後退期を迎えることになりました。日本の株価、地価はピーク時の1/4、1/5になったのです。幸いにも安田産業はバブル経済型経営をしていなかったので、バブル崩壊後の景気後退期を最小限の痛みでソロリと脱出することができました。

    バブル経済ピークであった1989年に安田産業は新事業に取り組むチャンスを頂きました。それは、液晶ディスプレイ用光学フィルムの事業です。われわれにとって繊維用染料、プラスチックケミカルにつぐ、光学材料という事業が始まりました。今まで化学品会社との取引が大半であった安田産業が電気メーカー、それも半導体技術をもった企業との取引が始まりました。化学品と電機の業界の事業スピードの違い、商習慣の違いを理解し、順応するまでに取引先様に大変勉強をさせて頂いた結果、少しずつこの分野の商いが拡大してまいりました。

  • LCD産業とアジアマーケット

    1990年代後半は、LCDを始めとしたフラットパネルディスプレイ時代の幕開けとなり、ブラウン管から液晶ディスプレイへの猛烈な変化が起こりました。あっと言う間に世の中はフラットパネルディスプレイ時代になったのです。また、それはTVのような大きなサイズだけではなく、携帯電話やカーナビゲーションをはじめとするモバイルコンピューティングの始まりでもあったのです。日本発の産業技術であったこのLCD産業を支えたのが、機能性フィルムという分野です。安田産業もさまざまな機能性フィルムを販売させていただけるようになりました。

    しかし、またしても危機を迎えることになったのです。日本の弱電産業、ディスプレイ産業は他の東アジア企業との競争を有利に進めることができませんでした。もちろん対応できたプレーヤーもたくさんおられます。そして、その主要プレーヤーは日本から東アジアで数量、品質、価格の競争をすることになりました。主となるマーケットはアジア、お客様・仕入れ先様も日本からアジアへシフトしてまいりました。

  • アジアマーケットへの進出

    そして、液晶ディスプレイの技術進化は当時のIT革命時代(現在ではICT=インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーと言われることが多いです)の幕開けとなり、世界中の個人がインターネットに繋がる端末をもつという、本格的な高度情報化社会へ突入していく大きな第一歩だったと今になれば分かります。

    そういったアジアシフトのムードが少しずつ色濃くなる2002年に、われわれは、はじめての海外拠点を中華人民共和国の上海に設立しました。当時から上海は国際都市であり、メガシティ、コスモポリタンでありましたが、まだ街には自動車より自転車が多く、バスやタクシーにはエアコンがなく、日本からの進出企業も大手企業が中心でした。また、中国の情報も非常に少なかった頃です。中小企業のわれわれには海外拠点運営は大変難しい事業に思われました。

  • 上海に安田産業のDNAを

    しかし、その時の経営者はお客様の声、仕入先様の声を丁寧に聞かせて頂き、自分たちのサイズにあった小さなサイズの代表事務処でスタートすること、そして、安田産業の商売に対する技術は中国においても通用するであろうとの経営判断をし、役員全員の反対を押し切り上海進出を決断いたしました。トップが決断をしたからには皆でやろうという事になりました。
    そして、日本から上海へわれわれのDNAをもって行き、彼の地においても非常に明るく、正しく、健やかに事業展開をしてまいりました。

    はじめての海外拠点ですから、わからぬ事ばかりです。しかし、やってみようと。そして、われわれの商売人根性は中国という巨大な国、そして大きくて早い市場スピードを目の当たりにして、代表事務所では満足できなくなりました。

  • 現地に根付いた企業運営

    そこで、2004年に上海安田化学品有限公司という現地法人を設立いたしました。初代総経理は、先ほども述べました安田産業のDNAと哲学をもって上海に赴任いたしました。すなわち、勤勉と倹約、尊敬と謙譲と中庸です。その当時のキーソリューションとしては、物流と会計に焦点をあて、今となっては当たり前のことなのですが、保税であろうが課税であろうが、はたまた危険品であろうがスムーズな物流ができ、スムーズな伝票処理、会計ができる事でお客様にご信頼をいただけることとなりました。

    その後、中国は北京オリンピック、上海万博といった国際的なイベントを見事にやりとげ、世界の耳目を集める国となりました。われわれは日本の高度経済成長につづき、隣国中国においても高度経済成長期に商いをさせて頂くことができました。その上海での経験値をもとに、2009年には華南地区(香港・深圳)にも現地法人、販売拠点を設立し、上海同様に現地社員の育成を重視したローカライズされた企業を念頭において企業運営をしています。

  • 中国の経済発展と共に

    この時期から中国企業の日本代理店として機能性ガラス、機能性化学品の事業展開がはじまりました。また中国企業のお客様とのお取引も始まり現在に至ります。事業をはじめた当初は日本企業における中国製部材のプレゼンスは低いものでした。しかし、今となっては欠かすことのできない重要なパートナーになっている企業も多くなってまいりました。われわれのパートナーシップによって、日本のお客様のサプライチェーンに中国企業が参入するということになりました。また中国経済の発展とともに、中国のお客様のサプライチェーンに日本企業が重要なポジションを占めるということも始まりました。

    完全なる情報化社会となった日本そして中国における市場の変化、事業スピードは大変早く、安田産業、上海安田、深圳安田の社員の努力によって維持できていると確信しています。

  • 経営状態の数値化

    少しここでセールス部門からバックオフィス部門に目をむけて話をいたしましょう。

    安田産業グループは2001年から非常に多くのIT投資を行いました。これは現在にも続きます。とくにコミュニケーションツールと業務作業ツール、分析作業ツールを充実させ、そして総務部門においては伝票、物流にまつわる全社一括のコンピュータ管理システムを構築しました。安田産業の現在の状態を正しい数値で確認でき、すぐ判断できるようにするのが目的です。

    会社運営を飛行機の操縦することと同じであると思って、勘ではなく、コックピットにあるたくさんの計器をみて判断する。その計器がくるっていたら、飛行機は落ちるのだぞとバックオフィスチームを叱咤激励し、いま現在の正しい数値がすぐに見えるようにしました。そして、それは経営チームだけでなく、メンバー全員がみることができるようシステムを構築しています。

  • ISOシステムの導入

    また、現代のメンバーに旧来のDNAと哲学以外に背骨を通さねばならぬというアイデアをもち、ISOシステムの導入に至りました。ISOは文書管理などの雑務が多く、中小企業には適さないという声もたくさん聞きましたが、ISO委員会を中心とした全メンバーが懸命に取り組んでくれました。ISOの考え方は勝つための組織作りではなく、負けない経営、負けない組織作りだとわれわれは考えたのです。その後、われわれは2007年にISO14001、2012年にISO27001の認証を取得いたしました。

    そして現在では、ISO14001の認証を維持し、ISMS(情報セキュリティマネジメント)は社内委員会による自主運営でPDCAを廻すトレーニングをしております。 そして、現代の産業界におけるニーズはお客様とわれわれがPDCAを一緒にまわすことであるとわれわれは考えています。

  • 逆境を超えて一歩づつ

    さて、時代は2010年代になり、主にプラスチックケミカルのお客様から、東アジアだけではなく東南アジア圏への事業展開にお声掛け頂くことが多くなりました。われわれは、わが業界のアジア選手権に出場したいという思いを抑えることができず、タイ王国バンコクにて現地法人を構える事に致しました。中小企業にとってチャイナプラスワンという事業展開は人・物・お金のすべてにおいて、事足りないのですが、現地のお客様、仕入先様のご協力を得て運営できる目途をつけ、2013年7月にスタートいたしました。

    はじめての東南アジア圏での商売です。案の定、うまくいくはずはありません。いつも通り、数々の失敗の連続です。そして、いつも通り少しずつお客様のお声を聞かせて頂けるようになってまいりました。われわれは1929年の創業以来、これといった突破口が見つからない中、いつも通りにこつこつとルーティンワークを積み上げるという苦しい作業には慣れております。

    今後はより一層お客様、仕入先様の東南アジアでの事業戦略に貢献し、東南アジアにおけるタイ王国の経済に貢献できるよう企業努力を続けてまいりたいと思います。

  • 点と点がつながっていくこと

    わずか86年間の社歴においても、商いの営みは次から次へと環境の変化が起こります。直近の5年間でも、リーマンショック、日中間の政治問題、東日本大震災、電力不足、超円高、SNSの発達、中央銀行による異常な通貨供給、グローバル規模での異常気象、などいくらでもあげることができます。

    これらすべてに対応することはできないのですが、われわれ自身が変化を拒んでいては、長くお世話になっているこの産業界において同じポジションを与えて頂けないということが分かりました。

    米国企業創業者である某氏のスピーチでも話されていますが、われわれは先々のことまで読んで点をつくること、点と点をつなげることはできません。しかし、過去を振り返ってみると、これははっきり、くっきりと点と線が見えてまいります。仕事は、あるいは人は、点と点がつながるだろうと未来を予測することは決してできなくて、過去を振り返ってのみ、点と点がつながっていくこと、そしてつながっていることを理解するのです。

  • Stability is Change

    ですから、われわれは自分達の活動に自信と誇りをもって、そして、勤勉、倹約、尊敬、謙譲、中庸というDNAに誇りをもって、新たな点を作っていくことが大事だと考えています。
    点というのは、けして人とか企業だけではなく、大きな出来事でもちょっとした会議でもいいのです、思い出に残る出張とか、食事会だとか、一生懸命に商売をやっているのならいろいろあると思います。そして、その点作りという作業を、仕事だけではなくプライベートの中にもたくさん作る努力をするべきだと考えます。

    長い暗いトンネルの中で、あの打ち合わせが大きな第一歩だった、あの人の一言に助けられた、あの方との出会ったおかげで閃いた、という瞬間がきっとあるのです。

    私は 『Stability is Change (安定は変化である)』 というこの逆説的な言葉をいつも自分に問いかけ、われわれは変化を拒んでいないか、わが社は世間皆さまの変化に対応させて頂いているかということを気に留めて経営を行ってまいりました。

    これからも皆さまに、『世の中はこんなに変化してるよ。』、『こんどこんな新しいことをやるんだよ。』、『あそこの彼はおもしろい奴だから会ってきたら。』、『おまえはいつも新しい話があっておもしろいね。』とお声をかけて頂けるよう自分たちをトレーニングしていきたいと思います。

  • より良い企業であるために

    そして、わが安田産業グループのメンバーが皆さまにとって、よい点になり、よい点であり続け、よい点を見つけられるきっかけになることを願って止みません。そのためには、精一杯の時間と体力と資金を使って、よく学びよく働きよく遊ぶという文化を社内で育成せねばならぬと考えております。

    これをもって刷新致しましたホームページでの私のご挨拶とさせていただきます。長い文章を最後まで読んでいただき有難うございました。ホームページの社長挨拶で、こんな長いのないですよね。でも、これが安田産業グループなのです。

    最後になりますが、皆様の益々のご健勝とご多幸を心より祈念しております。 今後とも安田産業グループを末永くご愛顧頂けますよう宜しくお願い致します。 2015年3月
    安田産業グループ CEO 安田大助

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